FAQ
愛知県・碧南市に関するレファレンス
「元気ッスへきなん」はいつから始まったか。踊りの歌は誰が作ったか。なぜ夏開催なのか。参加人数(踊った人)は何人か(2012.1)
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②『元気ッスへきなん(カセットテープ)』 碧南市制50周年事業実行委員会/企画・製作,1998
③碧南市地域協働課HP 元気ッス通信
→http://www.city.hekinan.aichi.jp/kyodoka/genkisshekinan.html
上記資料及びHPで確認できました。
・開始年月日・・・平成10年7月18日(土)より
・作詞・作曲・・・竹内健人/作詞 岩田光司/作曲
・なぜ夏なのか・・・市制50周年を記念して始まった夏のフェスティバルだから・
参加人数は・・・平成23年は2,466
昭和53年、碧南市で開催された「本に親しむみんなの集い 西三河大会」の開催日か知りたい(2011.12)
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②『図書館年報 1964-88』 碧南市民図書館/編,1989)
開催日:昭和52年10月29日
会場:中央小学校 参加者:350人
記念講演会では作家の村山リウさんが「本に訓えられる」と題し講演されました
碧南市の市制施行日の人口と、町別人口が知りたい(2011.7)
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②『碧南市史料 第51集』 碧南市史編纂会/編,1992
碧南市史料 第51集に古い時代からの人口の変化表があります。
世帯数、人口が、町別に知ることができます。
西端県の県庁はどこにあったのか(2011.5)
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②『碧南事典』 碧南事典編さん会/編集,1993
①に、西端陣屋の南に建築した簿庁を県庁にしたと説明がありました。
②によると「陣屋は現在の湖西町1丁目73、74に建てられた」とあるので、その近くと思われます。
藤井達吉の詩で、”誰がためにさくはあらでみちのべの~”というというものの全文が見たい(2011.2)
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②『藤井達吉遺歌集』 瀬戸市市長公室文化振興課/企画編集,藤井達吉/著,1993
③『藤井達吉継色紙(三十二葉)の歌』 藤井達吉の会/編・発行,2010
上記の資料に、お探しと思われる詩が載っていました。①には、その全文が記載されています。
油ヶ淵について調べていたら"佐々木のにょうぐう寺から、蓮如下まで行く"という記述があった。そこは何処を指すのか(2011.1)
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②『れんにょ通信』 鳥山貫一/ほか編,西端を考える会,2007
③『油ヶ淵ト応仁寺』 碧海郡第二尋常小学校,1934
「佐々木のにょうぐう寺」「蓮如下」という記述は見つけられませんでしたが、①②には、岡崎市の”佐々木の上宮寺”、③には”蓮如下”という言葉が出てきます。それ以外の資料には、油ヶ淵が、1766年ごろまでは様々な名前で呼ばれており、その中には”蓮如池”というものもありました。
しかし、はっきりこれ、といった回答はできませんでした。
西端藩の本多忠和の生まれ年はいつか(2011.1)
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②『碧南市史 第1巻』 碧南市史編纂会,1958
③『西端区碧南市合併50周年記念誌』 西端区碧南市合併50周年記念誌委員会/編著・発行, 2005
本多氏は、西端藩の藩主。忠和は8代目にあたり、文化6年に家督を継ぐも、わずか3年後の文化9年(1812)に行年31才で亡くなったという記述がありました。
油ヶ淵にいる魚について(2010.10)
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②『蜆乃呟記 高浜川流域誌』 愛知県知立土木事務所,1996
上記の本に記載されています。
大浜にある寺で、徳川家康に所縁の寺はなんという寺か(2009.4)
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称名寺・海徳寺・清浄院などがあります。