FAQ
愛知県・碧南市に関するレファレンス
「大浜騒動」について次の3点について知りたい ①服部純の政策について ②片山邸に出向いた5人の氏名と年齢 ③菊間藩管轄の村名(2024.12)
①『碧南市史料 第3冊(第34集P11~37、P67~68)』碧南市史編纂会∥編 国書刊行会 1981年
②『碧南事典(P333)』碧南事典編さん会∥編集 碧南市 1993年
③『大浜騒動 遺品展(P8~9)』遺品展大浜騒動企画委員会∥編 三河殉教記念会
1982年
④『碧南市史料 第2冊(第25集P3~4、P9~19)』碧南市史編纂会∥編 国書刊行会
1981年
以上の資料を提供しました。②の質問について、当時の年齢が不明だったため市史調査室に問合せをしましたが、杉浦泰五郎(49歳)と藤岡薫(19歳)の2名しかわかりませんでした。片山邸に出向いた5名は、杉浦康平、藤岡浜、杉浦晋、杉浦泰五郎、藤岡薫。(後から勝呂肇が合流)
ひょうたん池について知りたい。現存しているのか、しているのならばどこかで見ることができるのか(2024.11)
①『航空住宅地図帳 碧南市 ’76 』(公共施設地図航空∥編集 公共施設地図航空)
②『古地図から見た碧南の変遷 令和5年度 碧南市文化財展<解説書>』(築山 拓磨∥編
碧南市教育委員会文化財課)
③『碧南市一般図 昭和35年10月』(碧南市∥編 碧南市)
④『わしづかの今昔』(鷲塚区民館教養部∥編集 鷲塚区民館教養部)
以上の資料で調べました。現在どうなっているかは調べられなかったため、碧南市史資料調査室を案内しました。
愛知県の五平餅のいわれを知りたい
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②『47都道府県・和菓子/郷土菓子百科』亀井 千歩子∥著 丸善出版∥刊
③『愛知県史 別編民俗3』愛知県史編さん委員会∥編集 愛知県∥刊
④『新修豊田市史 15 』新修豊田市史編さん専門委員会∥編集 愛知県豊田市∥刊
⑤『愛知県史民俗調査報告書 3』愛知県史編さん専門委員会民俗部会∥編集
愛知県総務部県史編さん室∥刊
⑥『日本の食生活全集 23』農山漁村文化協会∥刊
以上の資料でお調べしましたがいわれ(歴史)については記載されていませんでした。
鷲塚騒動について碧南市の研究者が書いた資料が読みたい(2024.10)
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②碧南市史料 第4冊(第41集~第50集) 碧南市史編纂会∥編 国書刊行会∥刊
※①の第32集、34集 ②の第41集、45集、49集が該当
以上の資料を借りていかれました。
碧海郡明治村の地図が見たい(2024.9)
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②『西端区碧南市合併50周年記念誌』西端区碧南市合併50周年記念事業委員会∥編、西端区碧南市合併50周年記念誌委員会
③『碧海の歴史』村瀬 正章∥著、松籟社
これらの資料を提供しました。
山中信天翁と富岡鉄斎の交流がわかる資料はないか(2024.5)
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②『富岡鉄斎展』刈谷市美術館ほか/編、中日新聞本社、1987(A706)
③『山中信天翁物語』浅井 久夫/著、医療法人従天会山中従天医館 2008(A289)
④『山中信天翁』公益財団法人 天門美術館/企画・編集・発行、2018(A721)
これらの資料を提供しました。
北大浜村の分村についての資料はないか(2023.3)
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②『碧南市史料 第1冊(第15集)』碧南市史編纂会/編、国書刊行会、1981(A234.9)
③『新川町誌(中)復刻資料版』平岩嘉一郎/編、碧南市民図書館、1990(A234.9)
④『岡島兵作の町長日誌』加藤良平/編著、1994(A234.9)
⑤『岡本八右ェ門の時代』加藤良平/編著、1995(A280)
⑥市史資料調査室資料
上記の資料を提供しました。また、市史資料調査室にも閲覧可能な資料があるとのことでした。
昔、大浜にあった「狐塚」は、現在のどの辺りを指す地名なのか(2022.8)
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碧南市、1974(A318.3H)
②『新町名地番設定旧新対照表 昭和51年2月1日施行旧新川・前浜地域及び大浜・西端の一部地域』碧南市/編、碧南市、1976(A318.3)
③『航空住宅地図帳 碧南市’76』公共施設地図航空/編、公共施設地図航空、1976(A298)
④『愛知県碧海郡大濱町棚尾町土地寶典』大日本帝國市町村地圖刊行會、1934(A293)
⑤『碧南の民話』碧南民話サロン/編、碧南市民図書館、1993(A388)
⑥『大浜町誌』石川松衛/編、碧南大浜町、1929(A234.9)
⑦『碧南事典』碧南事典編さん会、碧南市、1993(A234.9)
⑧『碧南市史料 第1冊(第1集~第19集)』碧南市史編纂会、国書刊行会、1981(A298)
①②③④には地図が掲載されています。
⑤~⑧では、おおよその位置や、新旧の町名の対照がわかる資料になります。
昔の「碧南中央駅」の写真はないか(2021.8)
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②『碧海の昭和』樹林舎、2012(A234H)
③『碧海の今昔』樹林舎、2021(A234H)
碧南中央駅は、旧「新須磨駅」(大正4年開業)を知立寄りに100メートルほど移設し、昭和56年に開業。
①のP.116に、碧南中央駅と新須磨駅の写真と簡単な説明文があります。
②のP.204に名鉄新須磨駅という写真と、「開放的なデザインの駅舎は、壁を白く塗られ、おしゃれな印象で、新須磨海水浴場の玄関口にふさわしい建物だった」等の記載があります。
③のP.286には、「新須磨駅」のページ中に「碧南中央駅の」過去の写真と現在の写真が載っています。
中野四郎に関する資料が見たい(2021.2)
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②『私のアルバム』 中部経済新聞社/編、中部経済新聞社、1966(A280)
③『激流~中野四郎「血と汗と涙」の軌跡』 さきがけ新聞社/編、さきがけ新聞社、1983(A289)
④『中野四郎翁胸像建立記念』 中野四郎翁胸像建立発起人会、1987(A289)
⑤『碧南事典』 碧南事典編さん会/編集、碧南市、1993(A234.9)
①のp.31~33に、47歳頃の中野四郎の近況が書かれています。内容は、NHKの番組「国会討論」に出演時の中野四郎の様子です。
②p.278「市長まかり通る」というタイトルで、中野自身が書いた文章が掲載されています。内容は、碧南市長になった経緯と市長時代の業績に関する本人の感想です。
③は、叙勲を記念して作成された資料です。
④は、写真が多く掲載されています。
⑤p290~291に簡単な経歴などが記載されています。
碧南市の「山田」姓のいわれや、歴史について知りたい(2020.12)
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②『都道府県別姓氏家紋大事典 東日本編』千鹿野 茂/著、柏書房、2004(R288ト1)
③『碧南市史 第1巻』碧南市史編纂会/編集、 碧南市、1958(A234.9H)
④『碧南市史料 第3冊(第31集~第40集)』碧南市史編纂会/編、国書刊行会、1981(A234.9H)
①には、山田姓の略歴があり、②には、県内の山田姓の家紋からどの系統か簡単な説明が掲載されています。
③のp224-225「鷲塚の枝郷」の項に、「弘治二年(1556年)伊勢山田から山田右近衛門など三人がここの南部に移住し…」という記述があります。
また④の第35集「元海軍少将山田忠治伝」に、「氏の生家」として父母の来歴についても記述がありました。
石川丈山について書かれた資料や毛筆作品はないか(2020.11)
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②『石川 丈山』かみやもとみつ/著、安城市歴史博物館/編集、安城市歴史博物館 、1992(A289)
③『煎茶の世界』 安城市歴史博物館/編集、安城市歴史博物館、2007(A791)
④『丈山苑案内記』安城市教育委員会/編集、安城市教育委員会、1998(A290)
①②③に毛筆作品が掲載されていました。
油ヶ渕周辺の古い地図はあるか?おおざっぱなものでも良い(2020.11)
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油ヶ渕がどのていどまで伸びていたのかを知りたいとのことでした。
「いちじく」について、愛知県内の生産状況(作付面積・収穫量・出荷量)と、市町村別の栽培状況で碧南市が県内で何位なのか知りたい。(2020.6)
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②農林水産省HP「平成29年度特産果樹生産動態等調査」
③DVD『愛知の農業2020』 愛知県農業協同組合中央会、2020
①には栽培面積、出荷量、県内の市町村栽培状況として、「1位:安城市、2位:碧南市、3位:常滑市」となっているが、データの出典が平成23年、24年度のもの。
②には、栽培面積、収穫量、出荷量は掲載されているが、市町村別の栽培状況はなく、県内の主要産地名は「安城市・刈谷市・常滑市」となっている。
③の巻末の統計資料では、平成28年のデータですが、いちじくの作付面積、収穫量・生産量が掲載されているが、市町村別のデータは載っていませんでした。
明治時代、大浜村にいた医者・都築子文(しぶん)が書いた『三代頌寿録』という本が見たい(2019.1)
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①の本にご質問にある記述が記載されています。
当図書館には所蔵しておりませんが、文化財課 市史資料調査室で所蔵しています。
「大浜てらまちウォーキング」の始まりの経緯を知りたい(2018.11)
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上記の本の第6章(p.147~)、まちづくり施策の記述の中に、てらまちウォーキングについて説明があります。また、まちづくりの住民参画(p.160~)にも、開催の目的が載っています。
須磨町の町名の由来が知りたい。神戸の須磨となにかかかわりがあるのか?(2018.11)
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②『大濱町誌』 石川松衛/編、大浜町、1929(A234.9)
①には丁目の由来があり、大正三年に刈谷・大浜間に三河鉄道が開通した際、当時の社長が鉄道の繁栄の一策として、海水浴場を新設し「新須磨海水浴場」として宣伝したことに始まる、とされています。
②で「新須磨海水浴場」について調べると、〝沿岸一帯に老松があり、白砂青松にして風景絶佳は真に須磨の浦の面影があるから新須磨と名づく〟とありました。
大正から昭和初期の瓦会社について調べている。特に洋瓦を制作していた会社について知りたい。
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②『粘土瓦読本』 駒井鋼之助/著、彰国社(1963)
③『碧南市商工名鑑 昭和30年』 碧南市/編、碧南商工会議所(1955)
既に碧南市の洋瓦について調べられている方で、追加のご質問だった。
上記の本等を追加して提供。
縄文時代の愛知県の姿が分かる地図はないか?“縄文海進〟について調べている。(2018.6)
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②『愛知県の歴史(県史シリーズ)』 塚本 学/著、新井 喜久夫/著、山川出版、1977(A201)
③『角川 日本地名大辞典 23』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1989(290カ)
①には小さな地図はあるが、その他の資料には縄文時代の海岸線の地図は載っていませんでした。
参考として
②には〝縄文海進〟についての説明がありました。
③には現在の地図の上に、縄文時代の遺跡分布図が載っています。
伊勢湾台風、三河地震のときの碧南市の被害状況を知りたい(2017.12)
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②『愛知県災害誌』 愛知県、1970(A369.3)
③『風にたずねて水にうつして』 伊勢湾台風の記録を絵に残す運動推進委員会/編集、公明党愛知県民運動推進本部、1992(A451)
④『三河地震』 安城市歴史博物館/編、安城市歴史博物館、2006(A453)
⑤『昭和20年1月13日三河地震の震害と震度分布』 飯田汲事/著、愛知県防災会議地震部会。1978(A453)
⑥『地震ハザードマップ(パンフレット)H29年版』 碧南市市民協働部防災課/編、碧南市、2017
(A319.9H)
⑦『洪水&高潮ハザードマップ(パンフレット)H29年版』 碧南市民協働部防災課/編、碧南市、2017(A319.9H)
過去にどの地域でどんな水害があったのか、また現在の避難場所についても知りたいとのこと。
伊勢湾台風の被害については①が詳しいが、浸水被害については①~③に記載がある。②には当時の台風の規模など詳しいが、碧南市の被害については死者数や浸水家屋数などの数値のみとなっています。
「矢作川」の川の形がどう変化したのかがわかる図はあるか(2017.9)
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②『碧南事典』 碧南事典編さん会/編集、碧南市、1993、A234.9H
③『三河・尾張 川の流れと歴史のあゆみ』 国土交通省中部地方整備局河川部河川計画課 国土交通省国土地理院地理調査部社会地理課、2008、A517H
④『矢作川流域 一万年の歴史と文化を探る』 矢作川流域開発研究会/編、矢作川流域開発研究会、1980、A230
⑤『矢作川 矢作川改修60周年記念誌』 建設省中部地方建設局豊橋工事事務所/監修、中部建設協会豊橋支所/編集、建設省中部地方建設局豊橋工事事務所、1993、A517H
⑥『定本 矢作川』 新行 紀一/監修、郷土出版社、2003、A293
⑦『矢作川治水の歴史』 矢作川流域治水対策連絡会
①で古い地図が確認できる。②~⑥についても記述はあるが、変遷がわかりにくい。
⑦は1枚ものの地図で、わかりやすいが貸出できないが、発行元がインターネットサイトに掲載しているため、そちらもご紹介した。
住所に「字」がついていたころの棚尾・大浜地区の地名とその位置が知りたい(2016.6)
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①の資料の巻等に、棚尾と大浜地区の地図でわかりやすいものがありました。
①『碧南市南部 土地宝典』日本市町村編纂会/1966/A293
『碧南市史料 第13集』の西端藩の藩政の項に家臣のことは記載されていますか?(2015.8)
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お問い合わせの資料には、数名の家臣の名前が記載されています。
家臣の名簿をお探しの場合は、図書館では所蔵していませんのが、市史調査室が西端藩本多家の分限帳を復刻したもの(明治期のもの)を所蔵しているので、そちらもご案内しました。ただし、この資料は貸出不可・コピー不可の資料となります。
また江戸時代、本多家の本家は江戸にあったため、当時の分限帳も江戸にあったため当市には残っておりません。
碧南に「八景」はあるか?(2015.9)
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碧南の文化協会が発行する機関誌「碧南文化 59号」(昭和37年7月発行)に記載がありました。
「称名寺の晩鐘」という記事を高木二九氏が書かれており、彼による八景は以下の通り。
1.矢作川落雁 2.塩田 暮雪 3.天保崎夕照 4.傘松 夜雨 5.称名寺晩鐘 6.三本木帰帆 7.玉江川秋月 8.下山青嵐
ただし句歌や俳画は不明。
碧南にあったという置屋の軒数や芸者などの人数が知りたい(2015.9)
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②『明治村史 下巻』 明治村史編纂委員会/編、碧南市、1966
③『碧南市史 第2巻』 碧南市史編纂会/編、碧南市、1970
④市史調査室資料 『芸妓酌婦名寄帳』
①には、衣浦温泉に公娼街があり接客婦が70名くらいいた、という記述があります。
②西端村に私娼街があり、6軒ほどの店に2、30人の女がいたという記述があります。
③棚尾に芸者遊びができる場所があったと記述があります。
④こちらの資料から棚尾に15軒ほどの店があり、35人前後の女性が働いていたということがわかりました。
太平洋戦争中の碧南について(2015.8)
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②『二十一世紀への贈りもの』 碧南市立中央中学校3年生/編、碧南市立中央中学校、2000
③『西端区碧南市合併50周年記念誌』 西端区碧南市合併50周年記念事業委員会/編、2005
小学生からの質問でした。②は中学生たちが、戦争体験者の方に話を聞きに行ったものをまとめたものです。
碧南市の戦前の人口を知りたい(2015.7)
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②『碧南市史第1巻』碧南市史編纂会/編、碧南市、1958
①第52集に地区別の「人工推移」の表が掲載されています。
「碧南市 出先 K.K.永久社製」という刻印のある瓶があるが、永久社について知りたい。またその使用法も併せて知りたい(2015.3)
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②『碧南市商工名鑑 昭和24年度』 碧南市/編(未所蔵)
③『碧南市商工名鑑 昭和30年度』 碧南市/編、碧南商工会議所/刊、1955
④碧南市市史調査室
<永久社について>
「永久社」は、碧南市の旧町名「出崎」(現新川地区)にあった「㈱永久社製陶所」。
①には、陶土器の製造販売業者で業種・営業品目は「かまど」とある。
②では、住所が「字出先」(新川地区)だが、③以降の商工名鑑は「大久手」(現西端地区)とある。
<使用法について>
①『台所道具いまむかし』 小泉和子/著、平凡社/刊、1994
①に似た形状のものの写真が掲載されている。蒸し器の項の説明文には”羽釜の上に曲物の蒸籠を載せてふかしものをする”とある。
その他、市史調査室の調査により、改良カマド、蒸しカマド、もみ殻カマドと呼ばれたものだと考えらえます。
「天王町(碧南市)」の地名の由来が知りたい(2015.3)
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②『角川日本地名大辞典 23 愛知県』 「角川日本地名大地辞典」編纂委員会/編、角川書店、1989
③『碧南事典』 碧南事典編さん会/編、碧南市、1993
素戔嗚尊を祭神とした天王社(津島社)による。
①に天王社(津島社)と記載があり、③で調べました。
”彫刻のあるまちづくり”について、市内にある彫刻を知りたい。できれば地図がみたい(2013.10)
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②『碧南の彫刻のあるまちづくり 第2集』 碧南の彫刻のあるまちづくり,1989
③パンフレット『市民のしおり』
①にマップはあるが、新しいものや移転したものがある。
最新の情報は、碧南市藤井達吉現代美術館のホームページへ。
写真や解説、製作者についての紹介のほか、設置場所の地図も掲載されています。
碧南市の新田と”稲生平七郎”について知りたい<小学生>(2013.9)
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②『わたしたちのへきなん』
③『へきなん』
稲生平七郎は、平七新田開発の願主です。
①の資料以外には学校の副読本である②③にも書かれています。
白醤油とみかわみりんの歴史について知りたい(2013.9)
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②『週刊新潮 H17.7.25』 新潮社,2002
③『三河みりんで味わうプチマクロ料理』 キラジェンヌ,2013
④『みどり 22号』 エムアイシーグループ
⑤『厳選。だし、調味料を究める。』 文化出版局,2001
白醤油の歴史は①②、みりんの歴史は①③に少し記載されています。
⑤は歴史ではないが、白醤油やみりんについて書かれています。
「三州鷲塚新田二本木」の現在の地名、場所、および付近の寺院は(2013.8)
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現在の「二本木町」あたり。近くには「善門寺」「常照寺」があります。
「瓦屋甚七」「瓦屋米蔵」のまつわる事項(H2013.8)
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詳しい資料は見当たりませんでした。
①に掲載されている『鷲塚掟書連判状』(復刻)にある連名部分に、”甚七”の名前がみうけられます。
明治期の医師・赤堀青庵について調べたい。(2013.8)
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②『碧南事典』碧南市/刊,1993
①には、大浜村の医人として赤堀についての記述があります。
②には、赤堀が養子に迎えた赤堀孝太郎についての記述もあります。
鷲塚地区の水害時の避難場所の地図はないか(2013.8)
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②『碧南市地域防災計画 平成25年度版』 碧南市,2003
水害時の避難場所は、1.鷲塚小学校、2.東中学校、3.荒子保育園。
①②の資料を見比べ、変更はないことを確認。
市内の各小学校が設立された年を知りたい(2012.8)
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②『棚尾小学校100年史』 棚尾小学校/刊,1974
③『西端小学校百年誌』 西端小学校/刊,1973
④『鷲塚小学校の百年』 鷲塚小学校/刊,1974
⑤『日進小学校概要』 碧南市/刊,1973
⑥『10年のあゆみ』 中央小学校/刊,1987
⑦『20年のあゆみ』 中央小学校/刊,1997
⑧『30年のあゆみ』 中央小学校/刊,2007
①の『碧南市史 第3巻』p688“学校別沿革と現況”の項に市内小学校、中学校、高校ともに設立年が記載されているが、中央小学校は新しいため記載無し。中央小学校は⑥の『10年のあゆみ』に記載されている。
西端藩の領地がわかる資料はあるか(2012.8)
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地図以外の資料として、 『明治村史 上』 (明治村史編纂委員会刊 1966年)に領地一覧の記載有り。
領地は文化八年以後しばしば異動したとのこと。①には最後の領地(明治2年現在)の一覧が記載。七ヶ国四一ヶ村にわたる。
「金山町」という町名の由来が知りたい(2012.4)
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新町名は「新町名地番設定審議会」が開催されそこで決定されたため、市役所(行政課)に残っている審議会議事録を図書館職員が調査したところ、 ①「金山町」の旧町名「曳舟町」の「曳舟」が常用漢字にないこと。
②縁起が良い町名の候補一覧があり、そこから選んだらしいこと。
上記の2点が判明したが、なぜ「金山町」かは不明。
碧南市の災害の歴史を知りたい(2012.7)
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②『碧南市史 2巻』 碧南市,1970
①には、701年~1976年までの災害年表が載っています。
②では、主な災害を取り上げて、その被害状況が書かれています。
織田信長が14歳のときに、初陣で大浜を攻めたと信長関連の本に書いてあった。そのことについて詳しく書かれている本はあるか(2012.4)
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②『信長公記』 大田牛一/著,新人物従来社,1997
③『戦国合戦大辞典』 戦国合戦史研究会/編,新人物従来社,1989
④『碧南事典』 碧南市,1993
⑤『平氏 長田家異説新説考』 長田平白赤/著,2004
⑥『大浜町誌』 大浜町,1929 ほか
①、②、③に、信長が初陣で大浜を攻めたとの記述がありましたが、その他に詳しく書かれている資料はみつかりませんでした。
また①に、その時、「長田重元がこれをよく防いだ」との記述がありましたので、重元についての資料も探しましたが、系図以外の詳しい資料はみつかりませんでした。(長田重元は永井直勝の父。永田徳本と兄弟という説もあります)
市史資料調査室にも問い合わせましたが、「伝説のようなもので、特に資料は残っていない」との回答でした。
西端藩・本多家の分限帳(藩に属する武士の名簿)はないか(2012.4)
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その後、碧南市市史資料調査室に問い合わせたところ、下記の回答をいただきました。
①江戸時代に、西端藩の本家は江戸にあったため、その時代の分限帳は江戸に置いてきたので、碧南市には残っていない。
②明治時代に入って、西端藩が江戸から碧南に移ってきたのだが、その時代の家臣約100名の戸籍のようなものなら、市史資料室で所蔵している。
碧南の郷土史的な資料で「おひち」という名の二人連れが仏閣や名所を巡り歩く話があるそうだが、その話について知りたい(2012.3)
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上記の中に『お者満・平七郎物加多里』という話が収録されており、確認したところ、このことでした。
江戸時代の三河湾の地図が見たい(2012.2)
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②『西尾三河絵図集成』 西尾市岩瀬文庫/編集,2010
①の付属資料に「三河国正保絵図」(正保元年)「三河国元禄国絵図」(元禄14年)がありました。
②の資料には三河の古い地図が載っています。
毘沙門天(妙福寺)の大祭について知りたい(2012.2)
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②『碧南市史 第3巻』 碧南市史編纂会/編集),
③『碧南の寺院探訪』 碧南商工会議所/編集,1992)
①p.405 ②p.953 ③p.42に記述がありました。
妙福寺毘沙門天大祭は、4月3日に行われるます。秋の大祭は11月3日に行われます。
五穀豊穣・商売繁盛・開運勝利の神として崇敬されています。
毎月3日は毘沙門さんの縁日で地元の人、近郷近在の人のお詣りが多い。
碧南市の100年、200年、300年前の地図が見たい(2012.2)
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②『碧南市資料 第12集』 碧南市史編纂会/編集,
③『碧南市史 第1巻』 碧南市史編纂会/編集,1958
④『碧南市土地宝典』 日本市長村編纂会,1966
上記資料の中に地図がありました。
「きらきらウォーク」はいつから始まったか。屋台の数はいくつか(2012.1)
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HP『碧南市地域協働課HP きらきらウォーク』
→http://www.city.hekinan.aichi.jp/kyodoka/tiiki/kirakira/kirakirawalk.htm
開始年月日・・・平成10年12月23日(水)より
屋台の数・・・チラシでしか確認できなかったので、正確な数はわかりませんでした。
「元気ッスへきなん」はいつから始まったか。踊りの歌は誰が作ったか。なぜ夏開催なのか。参加人数(踊った人)は何人か(2012.1)
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②『元気ッスへきなん(カセットテープ)』 碧南市制50周年事業実行委員会/企画・製作,1998
③碧南市地域協働課HP 元気ッス通信
→http://www.city.hekinan.aichi.jp/kyodoka/genkisshekinan.html
上記資料及びHPで確認できました。
・開始年月日・・・平成10年7月18日(土)より
・作詞・作曲・・・竹内健人/作詞 岩田光司/作曲
・なぜ夏なのか・・・市制50周年を記念して始まった夏のフェスティバルだから・
参加人数は・・・平成23年は2,466
昭和53年、碧南市で開催された「本に親しむみんなの集い 西三河大会」の開催日か知りたい(2011.12)
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②『図書館年報 1964-88』 碧南市民図書館/編,1989)
開催日:昭和52年10月29日
会場:中央小学校 参加者:350人
記念講演会では作家の村山リウさんが「本に訓えられる」と題し講演されました
碧南市の市制施行日の人口と、町別人口が知りたい(2011.7)
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②『碧南市史料 第51集』 碧南市史編纂会/編,1992
碧南市史料 第51集に古い時代からの人口の変化表があります。
世帯数、人口が、町別に知ることができます。
西端県の県庁はどこにあったのか(2011.5)
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②『碧南事典』 碧南事典編さん会/編集,1993
①に、西端陣屋の南に建築した簿庁を県庁にしたと説明がありました。
②によると「陣屋は現在の湖西町1丁目73、74に建てられた」とあるので、その近くと思われます。
藤井達吉の詩で、”誰がためにさくはあらでみちのべの~”というというものの全文が見たい(2011.2)
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②『藤井達吉遺歌集』 瀬戸市市長公室文化振興課/企画編集,藤井達吉/著,1993
③『藤井達吉継色紙(三十二葉)の歌』 藤井達吉の会/編・発行,2010
上記の資料に、お探しと思われる詩が載っていました。①には、その全文が記載されています。
油ヶ淵について調べていたら"佐々木のにょうぐう寺から、蓮如下まで行く"という記述があった。そこは何処を指すのか(2011.1)
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②『れんにょ通信』 鳥山貫一/ほか編,西端を考える会,2007
③『油ヶ淵ト応仁寺』 碧海郡第二尋常小学校,1934
「佐々木のにょうぐう寺」「蓮如下」という記述は見つけられませんでしたが、①②には、岡崎市の”佐々木の上宮寺”、③には”蓮如下”という言葉が出てきます。それ以外の資料には、油ヶ淵が、1766年ごろまでは様々な名前で呼ばれており、その中には”蓮如池”というものもありました。
しかし、はっきりこれ、といった回答はできませんでした。
西端藩の本多忠和の生まれ年はいつか(2011.1)
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②『碧南市史 第1巻』 碧南市史編纂会,1958
③『西端区碧南市合併50周年記念誌』 西端区碧南市合併50周年記念誌委員会/編著・発行, 2005
本多氏は、西端藩の藩主。忠和は8代目にあたり、文化6年に家督を継ぐも、わずか3年後の文化9年(1812)に行年31才で亡くなったという記述がありました。
油ヶ淵にいる魚について(2010.10)
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②『蜆乃呟記 高浜川流域誌』 愛知県知立土木事務所,1996
上記の本に記載されています。
大浜にある寺で、徳川家康に所縁の寺はなんという寺か(2009.4)
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称名寺・海徳寺・清浄院などがあります。