FAQ
愛知県・碧南市に関するレファレンス
「三州鷲塚新田二本木」の現在の地名、場所、および付近の寺院は(2013.8)
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現在の「二本木町」あたり。近くには「善門寺」「常照寺」があります。
「瓦屋甚七」「瓦屋米蔵」のまつわる事項(H2013.8)
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詳しい資料は見当たりませんでした。
①に掲載されている『鷲塚掟書連判状』(復刻)にある連名部分に、”甚七”の名前がみうけられます。
明治期の医師・赤堀青庵について調べたい。(2013.8)
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②『碧南事典』碧南市/刊,1993
①には、大浜村の医人として赤堀についての記述があります。
②には、赤堀が養子に迎えた赤堀孝太郎についての記述もあります。
鷲塚地区の水害時の避難場所の地図はないか(2013.8)
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②『碧南市地域防災計画 平成25年度版』 碧南市,2003
水害時の避難場所は、1.鷲塚小学校、2.東中学校、3.荒子保育園。
①②の資料を見比べ、変更はないことを確認。
市内の各小学校が設立された年を知りたい(2012.8)
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②『棚尾小学校100年史』 棚尾小学校/刊,1974
③『西端小学校百年誌』 西端小学校/刊,1973
④『鷲塚小学校の百年』 鷲塚小学校/刊,1974
⑤『日進小学校概要』 碧南市/刊,1973
⑥『10年のあゆみ』 中央小学校/刊,1987
⑦『20年のあゆみ』 中央小学校/刊,1997
⑧『30年のあゆみ』 中央小学校/刊,2007
①の『碧南市史 第3巻』p688“学校別沿革と現況”の項に市内小学校、中学校、高校ともに設立年が記載されているが、中央小学校は新しいため記載無し。中央小学校は⑥の『10年のあゆみ』に記載されている。
西端藩の領地がわかる資料はあるか(2012.8)
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地図以外の資料として、 『明治村史 上』 (明治村史編纂委員会刊 1966年)に領地一覧の記載有り。
領地は文化八年以後しばしば異動したとのこと。①には最後の領地(明治2年現在)の一覧が記載。七ヶ国四一ヶ村にわたる。
「金山町」という町名の由来が知りたい(2012.4)
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新町名は「新町名地番設定審議会」が開催されそこで決定されたため、市役所(行政課)に残っている審議会議事録を図書館職員が調査したところ、 ①「金山町」の旧町名「曳舟町」の「曳舟」が常用漢字にないこと。
②縁起が良い町名の候補一覧があり、そこから選んだらしいこと。
上記の2点が判明したが、なぜ「金山町」かは不明。
碧南市の災害の歴史を知りたい(2012.7)
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②『碧南市史 2巻』 碧南市,1970
①には、701年~1976年までの災害年表が載っています。
②では、主な災害を取り上げて、その被害状況が書かれています。
織田信長が14歳のときに、初陣で大浜を攻めたと信長関連の本に書いてあった。そのことについて詳しく書かれている本はあるか(2012.4)
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②『信長公記』 大田牛一/著,新人物従来社,1997
③『戦国合戦大辞典』 戦国合戦史研究会/編,新人物従来社,1989
④『碧南事典』 碧南市,1993
⑤『平氏 長田家異説新説考』 長田平白赤/著,2004
⑥『大浜町誌』 大浜町,1929 ほか
①、②、③に、信長が初陣で大浜を攻めたとの記述がありましたが、その他に詳しく書かれている資料はみつかりませんでした。
また①に、その時、「長田重元がこれをよく防いだ」との記述がありましたので、重元についての資料も探しましたが、系図以外の詳しい資料はみつかりませんでした。(長田重元は永井直勝の父。永田徳本と兄弟という説もあります)
市史資料調査室にも問い合わせましたが、「伝説のようなもので、特に資料は残っていない」との回答でした。
西端藩・本多家の分限帳(藩に属する武士の名簿)はないか(2012.4)
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その後、碧南市市史資料調査室に問い合わせたところ、下記の回答をいただきました。
①江戸時代に、西端藩の本家は江戸にあったため、その時代の分限帳は江戸に置いてきたので、碧南市には残っていない。
②明治時代に入って、西端藩が江戸から碧南に移ってきたのだが、その時代の家臣約100名の戸籍のようなものなら、市史資料室で所蔵している。