FAQ
愛知県・碧南市に関するレファレンス
西端藩の領地がわかる資料はあるか(2012.8)
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地図以外の資料として、 『明治村史 上』 (明治村史編纂委員会刊 1966年)に領地一覧の記載有り。
領地は文化八年以後しばしば異動したとのこと。①には最後の領地(明治2年現在)の一覧が記載。七ヶ国四一ヶ村にわたる。
「金山町」という町名の由来が知りたい(2012.4)
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新町名は「新町名地番設定審議会」が開催されそこで決定されたため、市役所(行政課)に残っている審議会議事録を図書館職員が調査したところ、 ①「金山町」の旧町名「曳舟町」の「曳舟」が常用漢字にないこと。
②縁起が良い町名の候補一覧があり、そこから選んだらしいこと。
上記の2点が判明したが、なぜ「金山町」かは不明。
碧南市の災害の歴史を知りたい(2012.7)
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②『碧南市史 2巻』 碧南市,1970
①には、701年~1976年までの災害年表が載っています。
②では、主な災害を取り上げて、その被害状況が書かれています。
織田信長が14歳のときに、初陣で大浜を攻めたと信長関連の本に書いてあった。そのことについて詳しく書かれている本はあるか(2012.4)
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②『信長公記』 大田牛一/著,新人物従来社,1997
③『戦国合戦大辞典』 戦国合戦史研究会/編,新人物従来社,1989
④『碧南事典』 碧南市,1993
⑤『平氏 長田家異説新説考』 長田平白赤/著,2004
⑥『大浜町誌』 大浜町,1929 ほか
①、②、③に、信長が初陣で大浜を攻めたとの記述がありましたが、その他に詳しく書かれている資料はみつかりませんでした。
また①に、その時、「長田重元がこれをよく防いだ」との記述がありましたので、重元についての資料も探しましたが、系図以外の詳しい資料はみつかりませんでした。(長田重元は永井直勝の父。永田徳本と兄弟という説もあります)
市史資料調査室にも問い合わせましたが、「伝説のようなもので、特に資料は残っていない」との回答でした。
西端藩・本多家の分限帳(藩に属する武士の名簿)はないか(2012.4)
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その後、碧南市市史資料調査室に問い合わせたところ、下記の回答をいただきました。
①江戸時代に、西端藩の本家は江戸にあったため、その時代の分限帳は江戸に置いてきたので、碧南市には残っていない。
②明治時代に入って、西端藩が江戸から碧南に移ってきたのだが、その時代の家臣約100名の戸籍のようなものなら、市史資料室で所蔵している。