No.1 碧南の土人形

投稿日時: 2015/01/08 図書館管理者


 土人形は慶長(1596年~1615年)のころ、京都伏見の深草で作られたのが初めといわれ、1780年ごろ三河地方へ伝わりました。三河の土人形は、色彩豊かな歌舞伎役者が最も有名でした。安価でしかも美しい土人形は、当時の一般庶民に愛されてきました。昔は、紙や布、あるいはわらでくるんで「びく」に入れて、天秤棒で売られました。
 碧南は有名な三河瓦の産地であり、土人形を作るのに適する良質の粘土を容易に入手することができました。三河土人形は躍動的で迫力があり、「おぼこ」と呼ばれて、地元の人たちに大変親しまれました。

【棚尾土人形】
 土人形の先進地であり、人形師の数も最も多く、土人形の中心地でした。明治元年(1868年)ごろ大浜村の亀島久八が創始者ですが、型を使って作り始めたのは明治15年(1882年)ごろ鈴木市太郎からです。彫り深く、渋い色彩の重厚な「鈴木人形」は棚尾土人形の代表でした。

【旭土人形】
 平七土人形とも呼ばれます。高山市太郎は明治24年(1891年)ごろ豊橋の杉浦幸治郎に師事し、独立して旭村平七に窯を築き、旭土人形の創始者になりました。棚尾の渋く重厚な人形に比較して、赤や緑の鮮やかな色彩で明るい人形です。4男の八郎氏が跡を継ぎ、現在も作り続けています。

【大浜土人形】
 明治25年(1892年)ごろ美野部四市によって始められました。大浜土人形も棚尾と同様に、歌舞伎芸題物が大半を占めていますが、棚尾と比べて色彩が明るく、一段と華やかです。


碧南市広報2001年4月11日号掲載