投稿日時: 2014/12/26
図書館管理者
伏見屋の里、今の鴻島町6丁目に「伏見山観音寺」があります。ここに、世にも霊験あらたかな観音さんが安置されています。
そもそも壇上の御宮殿に安置してある聖観音菩薩は行基の作です。その由来は次のとおりです。
この観音さんは、摂津国兵庫の海中から出現された尊像です。兵庫の浦では1年中漁がなく、里人たちは悲しみ嘆きました。ある時、里人が大網をおろし引き揚げると、網の中から尊像が出てきました。里人たちはこれを山中に安置しておきました。
しかし、三河国の本間氏が西国遊歴の際、ある夜、尊像が夢で「我はこの地に留まり海底の魚を済度したが、三河国は有縁の地だから、早く我を三河の国へ連れ帰るべし。そして広く一切衆生を済度しよう。」と告げられました。
本間氏は里人たちに尊像をもらい受け、本国へ立ち帰り、しばらく自分の家に安置しました。またある夜、「一宇を建てて早く我を移し変え、諸人に結縁すべし。」とのお告げがありました。これにより一宇を建立し、尊像を移したそうです。
数限りなく、霊験あらたかな観音さんで、「子なき者、男子を願えば男子を、女子を願えば女子を与え給う。意願満足せずという事なし。」と言われ、どんな願い事もかなえてくれるそうです。
当観音堂開基は釈浄入という者で、伏見屋新田元地主、小田甚兵衛分家の彦左衛門のせがれで、罪を滅ぼすために剃髪して、安永ニ癸巳年(1773年)に造立致し、観音を安置供養しておる、と開基と創建の記録がなされています。
長い年月の後、伊勢湾台風のためお堂の破損も大きく、その後、市の都市計画道路開通によって平七のお不動さんが取り壊され、本尊は元平七神社に移されました。このお不動さんのお堂を移転改築して観音さんのお堂にしました。さらに、平成3年(1991年)にお堂が敷地内に移転改築されました。
碧南市広報2001年12月11日号掲載