投稿日時: 2014/12/26
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棚尾の妙福寺境内に毘沙門堂があります。ここに「志貴毘沙門天王」が奉安されています。
毘沙門天はまた、多門天とも言われる神様で、四天王の中の毘沙門天王です。毘沙門天王は護国の武神、護法(仏法を護る)善神として崇敬されました。また、一方で財宝福徳を授ける施福神として尊崇されていました。そのため、七福神中の1つの神様として毘沙門天が信仰され親しまれています。
棚尾の志貴毘沙門天王の由来は、次のように言われています。聖徳太子が物部守屋大連を討つ時、四天王を祈念すると、四天王の随一毘沙門天王が姿を現し、6目の鏑矢を太子に授けた。太子は大いに喜んで、その矢で守屋の胸を射通し、ついに討ち滅ぼした。太子は歓喜のあまり、毘沙門天王の尊像を自ら彫刻した。
そして、仁寿元年(851年)大和国住人志貴左衛門周亮が当地方の荘司となった。この時一寺を建立し、護持して来た太子の御作の神像を安置した。宝祚の遠長を祈り、荘内鎮護安寧を祈った。そのため、志貴毘沙門天王と言い、志貴氏の所領地は志貴荘と呼ばれた。また、御神像を奉安した場所寺を多聞山吉祥院妙福寺と称した。
その後当地の地頭となった熊谷若狭守直氏も、志貴毘沙門天王をこよなく信仰し、一宇を建てて今日に至るということです。
毎月の3日は毘沙門天王の縁日で、中でも春の4月3日、秋の11月3日は毘沙門天大祭です。この縁日は「びしゃもんさん」と言われ、多くの参詣人でにぎわいます。
碧南市広報2001年10月11月号掲載