投稿日時: 2015/01/08
図書館管理者
市役所通りを東に進むと、貞照院があり、更に東に行くと、右手に「弁天様」があります。
この弁財天を弁天さんと呼びます。弁天さんのお堂は古びて堂内は暗く、大きな厨子の中に弁天さんがいます。お堂の前は池で、池の底に井戸があり、絶えず水が涌き出て、石の橋が架かり、橋を渡り、石段を上がり、堂前でお参りします。
弁天さんは、願い事なら何でもかなえてくれます。お家の繁盛、無病息災、子どものいない夫婦には子どもを授け、池の水をつけると「イボ」がすぐ取れるといわれています。このように、弁天さんのご利益があるので、人々の信心深く、参詣の者は多く後を絶ちません。
【弁財天の歴史】
伏見屋新田の大地主であった2代目市古七郎平永昌は、久沓から大堤町に移住、この弁天尊像を屋敷内に祭りました。
文政5年(1822年)ごろ、4代目七郎平貞造は伏見屋に移り、広大な市古屋敷をつくり、その屋敷の北端に元宗山成端寺を造り、市古家の菩提寺としたのが今の常端寺です。
また、屋敷の南西端に池を掘り、弁天尊像を大堤より移し祭りました。このとき、弁天さんがあまりに大きいので大八車に乗れず、大きなたらいを作り、水の出たときに、それに乗り移らせたといいます。
こうして、弁財天を屋敷神として福徳財宝、子孫繁栄を祈念、代々崇拝しました。弁財天は河川神であるので池水辺に堂社を建立したのでしょう。常端寺のご本像と弁天尊像は、京都の仏師文弥の作と伝える逸品です。
その後、明治19年(1886年)に故あって、屋敷神から伏見屋村で、広く人々の崇拝、信仰する弁天さんになりました。平成元年(1989)度に道路拡幅のため、弁財天社堂を同境内に移築しました。
碧南市広報2001年5月11号掲載