No.14 加藤菊女

投稿日時: 2014/12/26 図書館管理者


 菊女は尾張藩士5百石の林治左衛門の娘で、幼いころから学問に励み、画才に優れて書にも通じた教養豊かな女性でした。縁あって加藤友右衛門のもとに嫁いで来ました。友右衛門の父、四郎左衛門泰栄は大浜村の土豪で、屋敷は大浜の中須賀にあり、旗本3千石津田外記の所領伏見屋新田の代官役を勤めていました。
 享保3年(1718年)、「孫市事件」が起きました。江戸の僧上寺の僧籍を抹消された若僧2人が、白木屋で住職の命令と偽り、けさ袈裟地織物数巻を持って逃亡したため、捜索が開始されました。
 1人の僧は勢州で捕らえられましたが、もう1人の僧が中山の貞照院に逃げ込んだとの知らせで、幕吏が白昼に寺内へ突入しました。近隣の人々が大勢集まり、幕吏を盗賊と思い暴行を加えました。西尾の賭場の親分、孫市が人々を制圧しようとしましたが治まらず、この騒動の間に、追われていた若僧は逃亡してしまいました。
 この事件により、代官である加藤四郎左衛門泰栄は、伊豆大島に流罪となりました。ところが、加藤四郎左衛門泰栄が高齢のため、菊女の夫、友右衛門が父の身代わりとなり大島に流されました。
 夫と別れた菊女は、夫が1日も早く許され無事に帰れるように、熊野大神社に毎夜お百度を踏んで祈願しました。また、心を込めて写経し、自分の手紙と写経を木箱に納めて、夫のもとに届くようにと祈り、衣ケ浦の海に流したのも度々でした。
 ある日、大島の海辺で友右衛門が釣りをしているとき、木箱が漂って来て、竿で押しやっても寄って来ました。不思議に思い拾い上げて開いてみると、自分の妻、菊女の手紙と写経が入っていました。それに驚き島吏に話すと、島吏もその奇跡に感動して事の次第を上司に知らせました。幕府は菊女の一念に感銘し、友右衛門の罪を許しました。そして、享保11年(1726年)12月、無事帰国できました。

碧南市広報2002年5月11日号掲載