No.3 大浜陣屋

投稿日時: 2015/01/08 図書館管理者
 明和5年(1768年)、水野豊後守忠友は、6千石の上総国の領地を改め、大浜を含む三河国碧海郡に6千石を賜りました。信濃国佐久郡の7千石と合わせて1万3千石の無城の大名となり、大浜字羽根に陣屋を構えました。そして、明和6年8月に出羽守と改名しました。
 安永6年(1777年)、忠友は若年寄になり、7千石を加増されて2万石になりました。その後、側用人となり、信濃国の領地を改め、駿河国駿東郡1万4千石を賜りました。そして、同11月駿河沼津に城地を与えられました。
 城持ち大名となって沼津に移り、沼津藩となりました。しかも明治にいたるまで、三河に領地を持って、陣屋を構えていました。
 忠友は天明元年(1781年)老中格になり、5千石加増されました。同5年には老中となり、また5千石加増を受けて3万石の大名に出世しました。
 享和2年(1802年)水野忠友が没し、養子忠成が家督を相続しました。忠成は文政元年(1818年)老中職となり、同4年に1万石、同12年に1万石の加増を受け、5万石の大名となりました。
 慶応3年(1867年)に将軍慶喜が大政奉還すると、徳川家は駿河国府中城主70万石を賜りました。そのため沼津藩が菊間に転封され、菊間藩となりました。
 大浜陣屋は明治2年(1869年)に菊間藩出張所となりました。後10年大浜村戸長役場となり、明治20年に陣屋の建物を取り払われ、わずかに老松1株を残すのみとなりました。後に、有志者により大浜陣屋跡に陣屋碑が建てられました。


碧南市広報2001年6月11号掲載