投稿日時: 2014/12/18
図書館管理者
むかしの奉公というのは、とてもつらい勤めで、朝早くから夜おそくまで働き、正月から年のくれまで、休みというものがありません。それでもお初は、病気のお母さんのことを思って、一生けんめいに働きました。
事件が起きたのは、お初が16歳になったときでした。奥さんが台所においたさいふの中身がなくなったといって、その疑いをお初にかけたのです。
「お前がぬすんだんだろう。正直に白状しなさい。」
と、つよくせめられました。
お初は、店の道楽むすこがさいふから金をぬき取るのを見ていました。そのむすこは、柱のかげで、お初をにらんでいます。もし「若旦那が」と言っても、店の主人は信じてくれないだろう、反対にしかられるのはわかっていました。真実を話せないまま、お初は、働いた金を1銭ももらわずに、追い出されてしまいました。
店の主人というのは、情けのうすい欲の深い人でした。そのころ、世間では奉公人が年ごろになって嫁に行くときは、主人がたんすを祝ってくれるのがしきたりでしたが、この主人は、それがおしくて、嫁入り前になると、何とか罪をきせて、奉公人にひまをだしていました。こんどのことも奥さんとはかって、お初を追い出すために、たくらんだにちがいないのです。
ひまを出されたお初は、泣きながらとぼとぼと帰りの道を歩きました。川の堤防までくると、長い時間をかけて橋をわたりました。橋をわたると鷲塚の村です。お初は、こんなすがたを、村人に見られるのがはずかしく、堤防のかげで日のくれるのを待ちました。
やがて暗くなったので、重い足をひきずりながら、家の前まできて、「お母さん」とよびかけようとしたが、のどがつまって、どうしても声がでません。入口の戸を開けようとしても、足が少しも前へ進みません。思いあぐんで、家の外をぐるぐる回っているうちに、すっかり、夜もふけて村は寝静まってしまいました。
お初の頭の中は、お母さんに会いたい心と、ぬれぎぬをきせられたくやしさで、気がくるったようになり、村の中をさまよい歩いていました。
長い時間が過ぎ、気がついてみると、村の中ほどにある池のほとりに立っておりました。池のおもてには、きれいな月がうつっていて、「おいで、おいで」をしているように思われ、お初は、さそわれるように池に身を投げました。
お初の死をあわれに思った村人は、池のほとりに「お初地蔵」をたてました。それからだれ言うことなく、その池を「お初池」と呼ぶようになりました。
参考資料:市民叢書『碧南の民話』