投稿日時: 2014/12/19
図書館管理者
「親方!かじがやらてたっ。」とさけびました。船底にはどんどん水が入ってきます。
「このままでは、船はしずんでしまう。荷物をすてれば、船は助かるかも知れない。だが、荷物をすてれば、船頭としてのわしの信用はなくなってしまう。いや、6人の命にはけられない。」
迷った末、浅右衛門は、
「荷物をすてろ!」と命じました。
あらしはおさまり、6人の船乗りは全員無事でした。かじも帆もない船は、海をさまよっていました。
浅右衛門は、海の守り神の金比羅さんに何度も祈りました。そして3日目、江戸送りの大浜船に助けられました。江戸の港で讃岐の船を見つけ、乗せてもらうことにしました。江戸を出る日、浅右衛門は大浜船の船頭にお礼と別れを言いました。
「おれは当たり前のことをしただけだ。それより、おれといっしょに船に乗らんか。おれはお前が気に入った。」 大浜船の船頭はそう言って、浅右衛門の手をにぎり、
「元気でな。また会おう。」と言ってくれました。
讃岐へ帰った浅右衛門は、期限までに荷物が届かなかったために、荷主の店がつぶれ、一家がどこかへにげたことを知りました。6人の命を救うために、しかたなくすてた荷物でしたが、町の人々は浅右衛門の悪口を言いました。このままでは船頭としてやっていけないと考えた浅右衛門は、大浜船の船頭をたよってみようと決心しました。讃岐を出る前、浅右衛門は、琴平神宮へまいり、お札をいただきました。
大浜についた浅右衛門は、船頭の世話で、棚尾の造り酒屋の手船にやとわれました。浅右衛門は1日も休まず働きました。ある日、造り酒屋の主人が声をかけました。
「お前さんはよく働くね。そんなに働くのは何かわけでもあるのかね。」
そこで、浅右衛門は、あらしにあった日から今日までのことを主人に話しました。
「わしは、故郷を出るとき、金比羅さんのお札をいただきました。海で命を助けてもらったお札と、荷主一家へのおわびに、いつか自分の手でお社を建てて、お礼をおさめたいと願っています。」
それから何年かたったある日、主人が言いました。
「望みはかないそうかね。」
「いや、まだまだです。お社を建てるのはいつになるかわかりません。」
「わたしは、おまえさんの働きぶりにいつも感心していましたよ。浅右衛門さん、そこで話があるが、倉の横のあき地へお社を建ててみないか。」
「えっ、ほんとうですか。でも、わたしには、お社を建てるだけの金はありませんが。」
「金比羅さんは海の守り神だ。お社ができれば喜ぶ人も多いだろう。金の足りない分は、わたしがだそう。」
「だんな様、ありがとうございます。」
浅右衛門は地面に手をつき、深く頭をさげました。
浅右衛門が造り酒屋の助衛門の助けをかりて、琴平神社(源氏町4丁目)を建てたのは、ふるさとを出てから7年後のことでした。
参考資料:市民叢書『碧南の民話』