No.5 陣屋のきつね

投稿日時: 2014/12/19 図書館管理者
 今から二百年ほどまえのむかし、大浜の殿様は、水野といいました。幕府の重い役をつとめて出世し、沼津にお城をつくりました。そのお祝いに、大浜陣屋の役人が沼津へ行くことになりました。
 陣屋の役人が、静岡のさきの、蒲原の松並木を歩いているとき、傷ついた一ぴきの子ぎつねが道ばたにたおれておりました。あたりの土が荒れ、きつねの毛がちらばっているのを見ると、どうやら親ぎつねが野犬におそわれ、子ぎつねだけが生き残ったようです。役人は、傷口に薬をぬり、その上に、手ぬぐいをさいてまくと、土手のおくのあなに静かにねかせてやりました。
 あくる日、役人がお城の役目をおえての帰り、松並木に通りかかると、元気になったきのうの子ぎつねが、役人の前にあらわれあとをつけてきました。身よりをなくした子ぎつねは、しんせつな役人を忘れることができなかったのです。静岡、島田、浜松と先になり後になってついてきました。
 豊川の茶店でのことです。役人がお金をはらおうとして、ふところに手を入れたが、さいふがありません。茶屋の近くでぶつかった男がいたが、あれはすりだったのか、このあたりに知った人はいないし、「さて、どうしよう。」と、すっかり困ってしまいました。
 すると、役人のはかまのすそを引っ張るものがいます。何だろうと縁台の下をのぞくと、さきほどから姿の見えなかった子ぎつねがさいふをくわえていました。うっかりすりに取られたさいふをとり返してくれたのです。役人は、恩を忘れない子ぎつねがいっそうかわいくなり、そのまま大浜までいっしょに旅をつづけました。
 大浜の陣屋に来た子ぎつねは、屋敷の中の、おいなりさんのとなりに小屋を作ってもらいました。夜になると、米倉の周りをぐるぐるまわり、ねずみをたいじしてたいせつなお米を守り、役人や村人たちにたいそうかわいがられました。大雨や台風など悪いことがおきるときには、「くゎーい、くゎーい」と鳴き、村の中にめでたいことがあると、その家の前で、「こんこん」と鳴いてお祝いをするというので、いつの間にか「陣屋のきつね」とよばれ、たいそう有名になりました。
 十年ほど過ぎて、子ぎつねがりっぱな大人になったころ、沼津の殿様がまた加増になり、三万石の大名に出世しました。きつねの命を助けてくれた役人がお祝いに行くことになり、きつねも連れて行くことになりました。役人は「おまえは、陣屋のきつねだからな。」と、水野家の印のはいったはっぴをこしらえてくれました。
 沼津のお城で用事をすませた役人一行は、きつねの故郷の並木道を通りました。お母さんを思い出したきつねは、一行から離れ、土手のあなにもどったとき、腹をすかした野犬がおそいかかりました。
 あくる日、茶店によった役人は、「はっぴを着たきつねが死んでいる。」という、旅人の話を聞きました。


参考資料:市民叢書『碧南の民話』より