No.8 麦えまし

投稿日時: 2014/12/19 図書館管理者
 本能寺の変ののち、明智光秀軍に追われた徳川家康は、岡崎へにげることにしました。家康一行は、堺から伊賀をこえるまで昼も夜も歩き続けました。そして、伊勢の白子からは、海の方が安全と考えて、船にかくれるようにして乗りこみ、明け方、松江の浜に着きました。大浜には、海を守るとりでとして家康の羽城がありました。一行は、ひとまずその羽城に向かうことにして海ぞいに大浜をめざしました。
 砂浜では、足がのめりこむため歩きにくく、なかなか前へは進めません。前日の昼から何も食べていない一行は、つかれきっていました。このままではだめだと思った家来の井伊万千代は、家康の前に進みました。
「殿、あのほこらで、ひと休みしてはいかがでございますか。みなさまが休んでいる間に、私が食べ物をさがしてまいります。」
 浜から陸へ出た万千代は、白いけむりの出ている農家を見つけました。草ぶきのそまつな家でしたが、かまどにかけた大きなかまからゆげが立っています。
「ごめん」と声をかけながら、万千代は家に入りました。かまどの前にいた女房は、とつぜん入ってきたさむらいにおどろき、大声であるじをよびました。
 万千代から事情を聞いたあるじの市助は、両手をついて言いました。
「お困りのようすはよく分かったけんど、わしら、三度のめしさえ、腹いっぱい食べられんびんぼう百姓です。おさむらい様の食べ物などねえですよ。」
「今、かまでにているものを分けてくれればよい。」
「これはおさむらい様の口には、あわねえですよ。」
「みんな腹をすかして、わたしのもどるのを待っているのだ。たのむ。」
「父ちゃん、腹がへって困っていおいでるだよ、分けてあげろまい。うちだけではとてもたりんから、常さんや千代さんにもたのんでくるよ。おさむらいさん、ちょっと待っていてください。」
と言うと、女房は、となりの家へ走って行きました。市助夫婦は、池端の7軒を走り回って、ようやく食べ物を用意すると、みんなでゆげの立つおけやどんぶりをほこらまで運びました。あつあつのどんぶりに口をつけたさむらいが言いました。
「これは米ではないな。」
「へえ、麦です。ここらでは麦えましと言っとります。わしらは、びんぼうで米が食えんので、麦をやわらかくして食っとります。」
 おなかのすいていたさむらいたちは、麦えましをうまいうまいと食べました。
 やがて、腹ごしらえのできた一行は、市助たちに見送られて大浜の羽城へと向かいました。
 数日後、外がさわがしく、何事かと庭へ出た市助夫婦はびっくりしました。庭先に米俵がたくさんつんであります。
「この間はせわになったな。これは殿からのお礼じゃ。お前たちの大切な食べ物を、よく分けてくれたとおっしゃってな。みんなで分けてくれ。」
 お米は、池端7軒の家に配られ、人々は思いがけないおくりものに大喜びしました。
 それ以来、村人は、お礼を忘れない家康をうやまって、一行が休んだほこらの祭りには麦えましをそなえ、朝早くおまいりに来た人たちにふるまうようになりました。


参考資料:市民叢書『碧南の民話』