投稿日時: 2014/12/19
図書館管理者
夕日が西の海を赤くそめるころ、大浜の港で船をおりた3人の旅人が、岡崎街道のはしで休んでおりました。
「しっかりなさいませ。母様になられるお方が、そんな弱いことでどうなされます。さあ、お立ちあそばせ。伊助、手を貸しておくれ。」
侍女のよしのに言われた下男の伊助は、道にすわっている女の人を助け起こしました。女の人は、大きなおなかをかかえるようにして立ち上がり、つえにすがってそろそろと歩きはじめました。美しい顔は青ざめ、苦しそうに肩で息をしていました。
「このお苦しみでは出産は近いであろう。何としても宿をさがさなくては。」しばらくして、一足先に様子を見に行った伊助が帰ってきました。
「よしの様、この先にははす池があり、そばに小屋がたっています。今夜はあそこに泊まりましょう。」
やがて、3人は池のそばの小屋に着きました。中にはだれもいません。土間にはわらとむしろが重ねてあり、石で組んだかまどもありました。せまい板の間には、鉄びんと洗いおけ、湯のみまでありました。よしのは、伊助に火をおこすように言いつけると、わらとむしろでねどこを作りました。
あくる朝、いつものように、はす池へ水くみにきた正平は、赤ん坊の泣き声を耳にしました。こんなところに赤ん坊がいるはずはないと思いながら、小屋の戸を開けた正平はびっくりしました。土間にいる男は、わき差しをぬいて身がまえ、板の間の前で中年の女が短刀をにぎり、わらの中でねている母子をかばっていました。思いもよらぬ光景に立ちすくんだ正平を見て、よしのは土間に両手をつくなり、こうさけびました。
「こちらは、私どもの主人で小谷様、私は、侍女でよしのと申します。わけあって身分は明かせませんが、旅の途中で主人が産気づき、ここをおかりしました。どうぞおゆるしくださいませ。主人が元気になるまで、どうかこの小屋を私どもにおかしくださいませ。」
伊助も、「お願い申します。」と両手をつきました。2人の必死の姿と、わらの中にねている母子のあわれさに胸を打たれた正平は、大きくうなずくと、静かに戸を閉めました。
正平は、はす池の水をくみながら、ひとりごとを言いました。
「おら、今まであんなにきれいなおなごは見たことがねえ。小谷というお方はよほど身分のあるお局様かも知れねえな。そまつなわら小屋で赤子をうむなんて、気の毒に。」
はす池の小屋にいる小谷主従のうわさは村中に広まりました。水くみに来たついでにおむつや食べ物を分けてくれる村人もあらわれました。こうして、はす池で産湯をつかった赤ん坊はすくすくと育ちました。
日がたち、菜の花が畑一面咲くころ、元気になった小谷主従は旅立ちました。見送りに来た村人に、何度も礼を言いながら、折戸の渡しから、舟に乗り、東へ向かって行きました。
それ以来、はす池は、だれ言うとなく、「小谷がつぼ」と呼ばれ、年をへて「子種がつぼ」と呼ばれました。この池の水を飲むと子宝がさずかるとも、この水で産湯をつかうと、赤子が無事に育つとも言われたそうです。
参考資料:市民叢書『碧南の民話』