No.10 如光さん

投稿日時: 2014/12/18 図書館管理者
 むかし、西端は海に面した岬になっていました。
 ある朝、村人が山の上にのぼったばかりの太陽をおがみ、ふと海に目をやると、大きな浮藻がひとつゆっくりと岸に向かって動いていました。波がかがやき、浮藻をとりまく朝日が光の輪のように見えました。浮藻は岸に流れつき、光の輪の中から4、5歳の男の子が立ち上がりました。男の子は、岸にあがると、まっすぐ武家屋敷に入って行きました。
「はて、杉浦様にあんなお子はいないはずだが。」と、村人は首をひねりました。男の子のうわさは、すぐひろがりました。
「杉浦様は、あの子が気に入って、学問を教えていなさるが、とても頭がいいそうだ。」
「おまけに力が強く、年上の子とすもうをとっても、まけたことがねぇんだと。」
「いったい、あの子は何者なんだろう。」
 西荒居の平家の落人の子だ、いや、光の中から現れたというから、神か仏の使い人かもしれん、と言う者もありました。
 やがて男の子は、上宮寺の如全和尚の弟子になりました。その後、京都へ行き、蓮如上人の弟子となり、「如光」と名づけられました。
 如光は、小さい時から力が強かったのですが、こんな武勇伝が残っています。
 蓮如上人と比叡山の僧兵が、親鸞のご影像(肖像画)をめぐって、争っていたときです。僧兵の1人がこう言いました。
「知恵づくでも、力づくでもよい、わしに勝ったら、ご影像を返してやろう」
 蓮如上人のおともをしていた如光は、「ならば力づくでやろう。」とさけぶと、そのまま竹やぶの中へ走りこみ、太い竹を一本、メリメリッと引きぬくと「さぁ、だれでもよい!かかってこい!」と、本堂に飛び上がり、しこをふみました。床がゆれ、板戸はガタガタなりました。如光のあまりの怪力をおそれた僧兵は、おとなしくご影像を返したということです。その後も宗教上の争いは続き、上人は、京都から近江へにげましたが、そこへも敵がやってきました。
「お上人様、わたくしのふるさと、三河の西端へまいりましょう。」
 こうして如光は、命をねらわれている上人を、西端へおつれしたのです。二人は、如光が育った杉浦宮内左衛門のいおりを宿にしました。上人は、村人達に仏様の教えをわかりやすく話してやりました。海から船に乗り、となり村の鷲塚をはじめ、矢作川を上り下りして、多くの村を布教して歩きました。西端に道場を開き、たくさんの人を救った2人は、3年後、京都へもどりました。
 月日がたち、如光は1人で上宮寺へ帰って来ました。西端の人々は如光に会い、村へもどってくれるよう、心をこめてたのみました。
「みなさんがそれほど言われるのなら、まいりましょう。したくをする間、しばらく待ってくだされ。」
 そう言って、本堂の奥へ消えました。しかし、如光は、いくら待ってももどってきません。ふしんに思った村人が、奥へ行ってみると、衣こうに「われ、生地に帰す」の紙切れがはってあり、如光のすがたは、どこにも見あたりませんでした。
 光とともに現れ、影のように消えた如光さんをしのび、西端の人は、後に、油ヶ淵の岸にお堂を立て、「如光堂」と名づけて、大切にお守りしたということです。


参考資料:市民叢書『碧南の民話』