No.17 鳥になった甲斐丸

投稿日時: 2014/12/18 図書館管理者
 むかし、大浜の権現岬には大きな老松がありました。大きな傘を広げたような松の姿を見て、人々は「からかさ松(傘松)」と呼んでいました。白い砂浜が続く海岸に、ただ1本そびえる大きくてりっぱな松は、衣ヶ浦の海を行く船にとっては、なくてはならぬ目印になっていました。しかし、夜は、からかさ松が見えず、船の行き来に不便でしたので、文政5年(1822年)に灯台ができました。その灯台守の役をかって出たのが大浜浜屋の甲斐丸でした。
 甲斐丸は、無口で、あまり人とうちとけず、しじゅう物思いにふけっているような男でした。歌を作ることがうまく、渥美の歌人糟谷磯丸の弟子にもなりました。灯台守の仕事がない昼間は、いつも、美しい景色をながめては、白い砂浜に歌を書きつけていました。
 甲斐丸の歌は、なかなかの評判で
「一夜権現の甲斐丸様は、歌で病気をなおすげな。」
と、人々に歌われたほどでした。
 ある日、甲斐丸は、どこまでも青い海が空の青とひとつになってとけていくかなたを、ぼーっとながめていました。そこへ、まっ白なかもめがあらわれ、気持ち良さそうににすーいすーいと飛び始めました。
「いいなあ。一度でいいから、わしもああやって海原の上を飛んでみたいもんだなあ。そうだ、いいことを思いついたぞ。」
 その日から、甲斐丸は、麦めしや魚ではなく、そば粉を水でかいたものや、木の実を食べ始めました。むかしから、煮炊きした物を食べるのを止め、人との交わりを絶つという修行をすれば、ふしぎな術をおぼえられると言われていました。甲斐丸は、かもめのように、この美しい海の上を飛ぼうとしたのです。満足に食べない日が続き、次第にやせ細っていきました。ひげはぼうぼうと伸びて、とうとう胸につくまでになり、ほほはこけ、目玉ばかりがぎらぎらしてきました。それでも甲斐丸は、1日中、大きな岩の上にあぐらをかいて、ひたすら祈っていました。
 ある月夜の晩でした。ザブーン、ザザザーと静かな波の音を聞きながら、甲斐丸は、いつものように岩の上に座っていました。すると、なんだかふっと体が軽くなったような気がしました。ふと下を見ると、ほんのわずかですが、体が岩からはなれて宙にういているではありませんか。
「ついにやったぞ。わしは仙人になったんだ。大空も自由に飛べるのだ。」
 甲斐丸は、岩から飛びおりると、夢中でからかさ松によじ登って行きました。そして、いちばんてっぺんの枝にたどり着くと、なんだか笑いがこみ上げてきました。
「うわっははは、わしはかもめのように、この海原を舞うぞ。あっはははは・・・」
 そして、両手を広げたかと思うと、ぱーっとからかさ松のてっぺんから飛び立ちました。後には、カンテラのあかりだけが、ちらちらと小さな星のように輝いていました。


参考資料:市民叢書『碧南の民話』